[9番]月鉾
[四条通室町西入]
鉾頭に新月型をつけているので、この名で呼ばれる。
真木のなかほどの「天王座」には月読尊を祀る。
古い鉾頭と天王の持つ櫂には「元亀4年(1573)6月吉日大錺屋勘右衛門」の刻銘がある。
[10番]孟宗山
[烏丸通四条上ル]
「筍山」ともいう。
山に飾る御神体は中国の史話二十四孝から取材。
病身の母を養う孟宗が、雪の中で母の欲しがる筍を掘り当てた姿をあらわしている。
[11番]太子山
[油小路通仏光寺下ル]
聖徳太子を祀るのでこの名がある。
聖徳太子が四天王寺建立にあたり、自ら山中に入って良木を求めたという所伝にもとづき、他の山がいずれも松を立てているのに対してこの山のみは真木に杉を立て、その樹に小さな如意輪観音像を奉戴している。
太子は少年像で右手に斧、左手に衵扇を持つ。
知恵のお守りを授与。
↑コレは装飾品です
[12番]木賊山
[仏光寺通西洞院西入]
謡曲「木賊」に取材。
我が子を人にさらわれて一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る翁をあらわしている。
元禄五年の墨書銘をもつ御神体は腰に蓑をつけ、左手に木賊、右手に鎌を持つ。
↑コレは装飾品です
[13番]菊水鉾
[室町通四条上ル]
町内に古くからあった井戸、菊水井にちなんで名付けられ、鉾頭には金色の透かし彫の菊水をつけている。
真木のなかほどの「天王座」には彭祖像を祀る。
元治元年(1864)の兵火に焼失したが昭和27年、88年ぶりに松本元治氏の熱意が実り再興され、28年6月完工祭が行われた。
人形は菊の露を飲んで長寿を保ったという枕慈童で能装束の舞姿である。
屋根は唐破風造りで、彫師海老名峰彰作の鳳凰の懸魚を飾り、軒下に翠簾を掲げるところは得に他の鉾と異なっている。
[14番]伯牙山
[綾小路通新町西入]
「琴破山」ともいわれる。
山の御神体は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事をあらわしている。
人形は手に斧を持ち前に琴が置かれている。
[15番]四条傘鉾
[四条通西洞院西入]
四条傘鉾は、織物の垂りなどをつけた傘と棒ふり囃子が巡行する古い鉾の形態である傘鉾の一つで、応仁の乱以前に起源をもち、傘の上には御幣と若松を飾る。
明治4年に巡行に加わって以降途絶えていたこの四条傘鉾も、昭和60年に町内の人々の努力が実り傘鉾の本体が再興され、昭和63年から巡行に欠かせない踊りと囃子が復元され、32番目の山鉾として巡行することになった。
踊りと囃子は、室町時代に京都から広まった風流踊で、今も滋賀県の滝樹神社に伝わる「ケントウ踊」を参考に復元したものである。
その構成は、棒ふり2人と鉦・太鼓・ササラ各2人の計8人の子供で、大人の影囃子に合わせて踊る。
[16番]芦刈山
[綾小路通西洞院西入]
謡曲「芦刈」に基づく。
故あって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会をはたす夫婦和合の姿をあらわす。
御神体の旧御頭は天文6年(1537)七条仏師運慶の流れをくむ康運作で、衣装は天正17年(1589)銘をもつ重要文化財指定の「綾地締切蝶牡丹文様片身替小袖」は山鉾最古の衣装。