祇園祭 山鉾その1

では、山鉾をご紹介(笑)
山鉾もいろいろあって歴史的に意味のあるものから故事に由来するものまで
14日の朝まで雨が降っていたので山には飾りつけがほとんどされていなかったのでちょっとさびしいですね

[先頭]長刀鉾
長刀鉾 長刀鉾 胴懸
[四条通東洞院西入]
鉾先に疫病邪悪を祓う大長刀をつけている。
この鉾は古来くじ取らずで必ず巡行の先頭を行き、生稚児の乗るのも現在この鉾のみです。

[2番]郭巨山
郭巨山
[四条通り西洞院東入]
中国の史話二十四孝の一人郭巨釜堀りの故事にちなんで造られた『釜堀り山』とも言われる。
※郭巨釜堀り:巨郭が黄金の釜を掘りあて、母に孝養をつくしたという故事

[3番]霰天神山
霰天神山 霰天神山 胴懸
[錦小路通室町西入]
永正年間(1504~1520)の大火があったとき、時あらぬ霰が降り猛火がたちまち消えたが、そのとき一寸二分の天神像が降ってきたのでコレを祀ったのがこの山の起こりである。
火除けのお守り授与。
霰天神山 装飾品 霰天神山 ご神体
コレは本来、山に備え付けられるご神体と装飾品です

[4番]蟷螂山
蟷螂山 蟷螂山
[西洞院通四条上ル]
蟷螂の自分の力のほどをわきまえず大敵に立ち向かう、その勇猛さを賞した中国の君子の故事に因む。
大蟷螂と御所車の車輪が動くなど山鉾として唯一のからくりがほどこされている。

[5番]函谷鉾
函谷鉾 函谷鉾
[四条通烏丸西入]
「くじ取らず」で、毎年全体では5番目、鉾では長刀に次いで2番目に行く鉾。
鉾名は中国戦国時代(前403~221)斉の孟嘗君が家来の鶏の鳴き声によって函谷関を空けさせて脱出できたという故事による。
鉾頭の月と山型とは山中の闇を表し、真木の中ほどの天王台には孟嘗君、その下の雌雄には鶏を添えている。

[6番]油天神山
油天神山 油天神山
[油小路通綾小路下ル]
油小路に町内で古くから祀られている天神を勧請して作られた山。
油天神山 ご神体と装飾品
コレは本来、山に備え付けられるご神体と装飾品です

[7番]綾傘鉾
綾傘鉾 綾傘鉾
[綾小路通室町西入]
大きな傘と棒ふり囃子の行列で構成される。
傘の上の御神体の鶏は、金の卵を片足に持っている。
※棒ふり囃子:赤熊をかぶり、棒を持った者は鉦、太鼓、笛に合わせて、疫病退散の踊りを踊る。
綾傘鉾 模型 綾傘鉾 模型
この二つは依然使われていた鉾の模型とご神体

[8番]占出山
占出山 占出山
[綾小路通室町東入]
神功皇后を祀る安産の山。
神功皇后が、肥後国松浦で鮎を釣って戦勝の兆とした説話を基にしているため『鮎釣山』とも呼ばれる。
くじ順でこの山の巡行が早い年は、お産が軽いといわれている。
唯一、黒松を立てている。

→その2に続く