【現存天守】犬山城@愛知

福井の丸岡を出立し、岐阜で名鉄に乗り換えて愛知県へ
向かった先は。。。
犬山城
犬山城
木曽川沿いの丘上にある城で、佇まいが長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩

早發白帝城

にちなんで荻生徂徠が「白帝城」と命名したと伝えられています

城が創建されたのは1537年と日本最古の様式での創建ですが、
天守は半世紀前後のちで正確な年代がわかっていないので天守としては先の丸岡城が最古と言われています
対岸からの眺め 犬山城
着いたのが閉館ぎりぎりだったので、急いで登閣しゆっくりと周りを探索です

やっぱり水辺が近くにあると絵の構図が決まってかっこいい
天守の足元では崖上に建っているのでほぼ東面しか見えないですが、川の対岸まで行くと全方向を見れるのでいろんな表情を見ることができます

ちょうど夕暮れ時ということもあり、夕日までは入れれませんでしたが最後にパシャリ
犬山橋からの眺め
ちょっと城巡りが自分の中でブームになりそうです

/*** 城情報 *************************/
丸岡城【白帝城】
愛知県犬山市犬山北古券65-2
築城年:1537(天文6年)
城形状:平山城
天守:望楼型複合式 3層地上4階
築城主:織田信康

犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537)に木之下城を移して築城したと伝えられています。

天正12年(1584)小牧・長久手合戦の際には羽柴(豊臣)秀吉は大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。
江戸時代になり、元和3年(1617)尾張藩付家老、成瀬正成が城主となってからは成瀬家が代々受け継いで幕末を迎えました。

明治24年(1891)の濃尾震災で天守は大きな被害に見舞われました。同28年、愛知県から修復を条件に旧城主である成瀬家に譲渡されました。
現在、犬山城天守は犬山城白帝文庫の所有となり、犬山市が管理をおこっています。

また、天守の創建年代は天正(1573~92)頃、慶長5(1600),6年などいくつかの説がありますが、現存する天守の中で最も古いと言われています。
~ 犬山城パンフレットより ~